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イタリア、GAETAという港町 [イタリアの写真]


真夏にローマから南下すること130キロのガエタの港町に行きました。高速道路A1を降りて、山を縫うように走る道を、ハーレーのバイクの群れと一緒に抜けていくと、突然、広い視界にキラキラ光る海が見えてくる。夏の海は空と同じぐらい青く、地平線から湧き出たような入道雲が真夏の到来を告げていました。
この街は古代ローマからの歴史はあるが、歴史の表舞台に一躍出てくるのは、19世紀のイタリア統一戦争である。ナポリのブルボン王朝はイタリアにとっては、外国勢力の支配層であったが、1860年9月、ガリバルディ率いる統一軍がナポリに押し寄せ、王と王妃はカプアに逃げ、カプアも落とされ、ナポリの北80キロにある要塞のガエタに逃げ込んだ。何?そのナポリのブルボン王家?と思われる方が多いと思いますが、そもそも、ナポリがフランスの王朝に支配されていたということじたい、日本の世界史には出てこない。
(今、世界史の教科書に出ていたら、お許しください。)
説明するとかなりややこしいのですが、ナポリとシシリアはもともとアラゴン王家の支配下にあったが、アラゴン王家がスペインによって統合されて、スペイン王家の支配下になり、そのスペインの王がフランスのブルボン家の人間になったことによって、ナポリもシシリアもブルボン王家の支配となった。分かりやすく云えば、例えば日産が今、フランスのルノーの支配下にあるようなものですか。社長(王)にカルロス・ゴーン氏がなるようなものですね。

この王朝の最後の王妃に凄い人がいました。マリー・ゾフィーという王妃、バイエルン(今のミュンヘン)から嫁いできた美貌の王妃です。
この王妃、ガエタの砦に立て篭もると、彼女の戦いがはじまった。攻め寄せる、イタリア統一後初代の王、、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(ローマのベネツィア広場にある白い大きな建物が彼の記念建築です)の軍勢が攻め寄せるとき、彼女は大砲をぶっ放し、イタリア軍との死闘に精力的に働き、負傷兵を運び、自分の食料も分け与え、兵士の志気を揚げた。一時はこの軍勢を退却させた。やがて砦も陥落し、彼女は夫の王とともに、ローマ、ミュンヘン、パリにと亡命生活の末、戦う王妃もパリにてなくなりました。 
今は、砦も廃墟になりつつあり、修復中です。夏草や兵どもの夢の跡。芭蕉の句そのままです。


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