2009 知られざるウンブリアの古都、スポレート [イタリアの写真]
ローマから高速道路A-1をオルテで降りて、E-45高速道路をテルニを
過ぎたところからSS3(スーパーストラーダ3)の曲がりくねった山間部の道を北上する。山の中からいきなり大きく視界が広がり、丘の上のアルボルノツィアーナ城とスポレートの街の雄大な姿に魅了される。
2009年の1月18日に訪れたわけですが、生憎の雨天で、この街に良い印象を持たなかった。悪印象の訳は、天候だけではなくて、冬という時期的なもの、観光客は皆無、道行く住人も疎らで、寂寥感いっぱいの街でした。今、写真を見直してみると、観光資源も豊富で、青空が広がる夏季に訪れたらきっと違った印象を持ったことと思います。
この街の歴史は古く、スポレンティウムという名前で、紀元前241年にローマの植民地として知られています。第2次ポエニ戦争の時は、ハンニバルに抵抗したローマの同盟都市として、ハンニバルと闘ったことで名前を歴史に記録されています。
<街の象徴、アルボルノツィアーナ城>
14世紀にこの地のアルボルノス枢機卿が、グッビオの建築家マッテオ・ガッタボーネに建てさせた城です。
多くの包囲戦に耐え、白は1800年に監獄になり、20世紀後半まで使用され、今は修復中で入場はできません。
<パラッツォ・コムナーレ、市庁舎>
坂の半ばに建築された、珍しい市庁舎です。
<13世紀ごろの面影を残す中世の面影がそこかしこに見れます>
<ローマ時代の劇場跡>
<大聖堂、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂>
ロマネスク様式の大聖堂の中には、1469年にこの街で死んだ、ルネッサンス期の巨匠、フォリッポ・リッピ
(修道僧でありながら、美貌の尼さんと駆け落ちした。あろうことか、教会の祭壇に描かれてた聖母マリア像が、彼が愛した尼さんにそっくるだとか..)の墓が現存する。
<黒トリュフの産地、たっぷりトリュフを使ったパスタが食べれます。>
<この街最大の建築物、トーリ水道橋>
谷をわたる風を遮るように、谷を支配するかのように横切っている巨大な水道橋。 古代ローマの時代に建築されたものですが、13世紀にたてなおされている。
橋の一部は人が通れるように設計されている。
スポレートは音楽祭、それもドゥエ・モンティ祭(2つの世界)で世界中に知られています。日本ではあまり聞きませんが... 3週間に日程で音楽、演劇、ダンスのフェスティバルが開催される。2つの世界と呼ばれるようになったのは、姉妹都市であるアメリカのチャールストンで、アメリカ・スポレート音楽祭が開催されるためです。 2008年には、スポレートの市長が、チャールストンでの音楽祭開会式に出席した。
今では、イタリア有数の文化発表の場として知られています。
2012-07-25 14:04
nice!(5)
コメント(3)
トラックバック(0)
hiroさん
niceをありがとうございます。
by dolcevita (2012-07-26 09:09)
マチャさん
niceをありがとうございます。
by dolcevita (2012-07-26 19:37)
たけさん
niceをありがとうございます。
by dolcevita (2012-07-28 19:19)